昭和40年06月03日 朝の御理解
仏を作って、魂を入れない。形のことはでけても、その中に、心がこもっておらなければ、値打ちはないと。例えば花が咲いても、花だけで、実りがなかったらいけない、という事ですね。だんだんおかげを頂きましてから、昨日がここのご建築の業者の方達の、見積もりを、皆さんなさっておられる。おかげを頂いてから様々な業者の方達が10社、十件ほど申し込みがあってございました。見積もりが出してございました。委員長を始め、副委員長の方達、先生方。
それに菊栄会の会長と、壮年部長の福島さん、それから設計士の古屋さんと、それからそれを記録する、担当しております高橋さん、それだけで非常にその緊張り裡の中に、その、自然とそれが開かれたわけなんです。皆さんやはり専門専門の方達が、しておられますからやっぱりその、見事な見積もりが出してございました。けれどもですね、やっぱり一番最高と最低っち言うと、一千万違うです。大きいですね。
最低とですね最高というたら、一千万円違うですよ。もちろん安かつにしようと、いちばん安かつを取ろうと言うのなら、まあ安かつで決まりでございますけれども、まあここの場合はそんなわけにはいきません。やはり一つの例えてまあ、分かりやすく言うなら、こういうこういう材料を使って、そしていくらだいたい設計士の方でその、金額が出てくるわけなんですね。この材料を使えばこのくらいはかかるという。
だからその一つのこちらに伏せて、伏せてあるというか、こちらにある、金額のに近いものが、とられるか、それともまた、この4日の日に、いよいよ厳選に厳選をされて、まあ決定されるわけですけれども、安いのでいくか、まあ信用は本意でいくか、まあそれは分かりません。分かりませんけれども、こちらで選考された方達も、まあ一生懸命ですが、業者の方たちも一生懸命だということですね。
昨日、そういう選考日だと言うので業者の方たちが見え、殆ど模様を見にこられたですね朝から。どんな風でしょうかあたってるでしょうかと。どうなんですかと言ったようなふうにですねまあ言わば挨拶かたがた、その自分のところで見積もりを出しております、それに対してかまあ自信をたっぷりで、出しておられる方達もございますけれどもそれをいわゆる選考されるかということを、思いを聞きたいというわけなんですね。
ですから昨日もほとんどが支店長とか、社長さんとかいわゆる責任者の方たちが、見えられました。私昨日私はそういう会合に入りませんでしたけれど、もうすんでからちょっとあがってくれと言うから私も上がらせて頂いたんですけれども。わたし話すんですね、もう昨日見えられた方達もうどの人んでも立派です、やっぱあれだけの仕事でもさせてくれしたいという様な、大きな仕事をしておる方達ばっかりですからね。
もう人間心使うならどの人にでもお願いしたい、というような人物ばかりですね。人物の上でも。やはりまありっぱな会社立派な業者の方たちを皆が推薦して、おるわけだから、それはそうでありましょうけれども、確かにこれはもうほんとにそうでした、もう一人一人私がお会いしましてですね、もうほんとに、もうどの人にほんとにお願いしていいやらわからんくらいに立派な人達ばかりでしたですね。その中にです、その始めにはさほどにも思わなかった方です。
椛目のそのお仕事に対してですたい。大して意欲を燃やしていなかった。ところがそのこちらに、まあ通知を頂いてから、その見積もりを出させて頂いて、それからここで私に、第一会うてまあここでいろいろと、話を聞かれていくうちにです、もうどうでもこうでも、ひとつおかげ頂きたい。どうでもこうでも、この仕事をさせて頂きたい、というその、意欲が燃えてきたと言う人がありましたですね。
その度に私は、大体の見当だけをつけて、言わばその係りの方に見積もらせてです、自分は旅行に出られたと。3日間でしたかその間にいわゆる本気でその、腹を決めさせていただく、というそのなかなか信心信仰がないですけれども、信仰のある者でもあれだけ信念的な、そのことはできまいと思われるような方なんですねえ。どうしてもそのやるぞっ、というそのモリモリしたものが沸いてこないわけなんですね、
そのために一生懸命まあ苦労したと。ところが最後の日に新聞を見せて頂いたところが、新聞にその何かその、事故か何かにあって亡くなられたその、記事が出ておったと。それに見出しにですね空を掴んで死んでおった、というその見出しが出て、そのあったのですねえ。それは殺人殺されたのか何か知らんけど、とにかくその空を掴んで死んでおるというそれにですね、痛く心をひかれたっち言うて。
自分が何十年間この仕事をやってきたんだけれどですね、自分が果たして何かを得たい、何かを得たいと言いながらです、自分もこう空を掴んだまま亡くなっていくのじゃなかろうかとこう思ったち。言わば幸せになりたい幸せになりたいと一生思い続けながら、何の幸せも、これというものも掴めずに死んでいくということなんだ。仕事なさる方達がですたいなるほど随分いろんな仕事をしてきたけれどもです、本当に後世に残るようなですんなら良心的な仕事が、自分の過去の仕事にあったかとこういうこと。
これなら自分が後世に残るような仕事、今度の椛目の御造営以外にはない、というようなその、あれが沸いてまいりましていわゆるその、ファイトが沸いてきた。ね、してどうでもこうでもというそのまあ気迫がですね、私の心の中にいっぱい広がってきた。それでまあ昨日も見えられたわけでございますけれども、そんな話なさるんですね、で私がそうですもんねえ、と、けれどもそのどういうふうに後世に残るような仕事をなさったところでですたい、立派な仕事をなさったところでですたい、それが例えばなら水に流された、火に焼かれた、っていうたらもうお終いですよと私が言うた。
ですからそのことを通してです、その一生懸命の後世に残るような、と言った様な一生懸命の思いを、あのそのことを通して残るもの。それをまあ信心ではお徳と言うのですよと。それからたまたまここで、皆さん御理解を頂いておられますテープなんかも聞かれましたですね。あのう先日からこの命を奉ると、命のお供えとあの御理解を頂かれたんですね。これは利益とかただ出来栄えというだけじゃいかんと、その中にそういうまあお道流儀に言うならば天地に通うもの。
いわゆる真心の仕事というものがです、成されていかなきゃならん。ここにその自分の、もしおかげを頂くならばです、今まで空を掴できたような仕事ばかりをしてきたのに、何かが握れるような、その頂かれるような感じがまあ致します、と言った様な話をなさっております。これはまあ商売上手の口上手にです、まあそういわれれおると致しましてもです、その言われておることはそれと致しましても、私ども信心で頂く者がですちょっと、感じなければおられないような、お話でございましたですね。
皆さんが例えばほんとに、その信心によって様々なことがなされて、ね、形の上には立派な、それに花を添える様なですかね、その形の上におかげを頂きましてもです、それが花だけに終わってしまうと。仏は作ったけど魂が入ってない、形は一つも変わらないのだけれど、ね、それにはやはり一生懸命の真心であり、命に匹敵するものがその中に籠められてなければです、あとに残るようなものということにはなってこないと。
まだこの4日がまたそれを、検討され検討されいわゆる厳選された、その中からどこに焦点を絞ってというところで、まあどちらかの業者の方の手に渡るわけでございましょうけれども。まあそれはまあ別としましてですたい、その私昨日面接致しました、この人の仕事に対する意欲と言うか、事業意欲というか、その迫るような迫力とですたい、ほんとにやはりもう今頃はです、もういい加減なことではいけない、っていうふうに皆これは信心の無い人たちでも、それは知っておりますですそこまでは。
いわゆる実意丁寧、ね、本当なものを本当に打ち出していかなければ、よい仕事はできないということをです、皆やっぱりそこんとこに焦点を置いてるです。ね、いわゆるインチキではいけないということ。例えばお商売をさせてもらうならば、なるほど自分たち本意ではいけない、お客様本意であらなならんと言う様な事をです、信心が無くても考えておりますです。
そういう意味合いでです、私はどの業者の方でも、ほんとに堂々として立派だとこう思いましたですね。してもう銘々が自信たっぷりです。ね、信心はそれにですそういうことによって形ができるだけではなくて、それに魂が入らなければならない、というところに信心があるです。あとに残るもの、これはほんとに信心のある者のほうがですね、実意を欠いておる様な事がなかろうかと。と私はいく人かの方たちにそのお会い致しましてからです、そんなことを考えましたですね。
出来さえすればよいじゃいかん。花が咲いただけじゃいかん。それがどこまでも一つ実りになるところのおかげを頂くためにです、ね。また例えばそのことの御造営なら御造営と言うことにおきましてもです、そういうところに焦点を置いて皆さんお祈りをなさらなければならないし、また自分達それに寄与させてもらう自分一人一人の上にもです、形のことだけのことではいかんやはり一生懸命の命に匹敵するもの。
その命に匹敵するものでなからなければです、言わば後世に残るとか、まあお道の流儀で言うならばあの世にも持っていけ、この世にも残ると言った様なものにはならないということ。ただ何にも掴めず言わば空を掴んで、一生終わったと言う様な事がないようなです、おかげをまあ頂きたいものだと、思うのでございます。ね、ほんとにそこにおかげでこういうものを掴ませて頂いたと言わばそれを、その行をまあ自分もどうでもさせて頂きたい、という意欲が起こってです。
何日間かそのことに一生懸命、言わば腹を作ることに、その一生懸命なられたっていう一業者の様にです、私はそういう腹がめいめいの上にできとらなければいけない、とこう思う・・・。これはそれを受けてするもの、それを頼む者も同じことだと思う。軽はずみのことじゃいかん。受けるほうのほうもそげなんふうな、一生懸命なものであるから、こちらとてもやはり一生懸命なものが打ち出されていかなければならん。でないとその神様の心に、副うことになってこない。
神様にお喜び頂ける様な事になってこないと、言う様な事を私は感じたんですけどね。まあその話はです、例えばどこまでが真実なことか分かりませんですよ、そりゃただ私の心を引く為にそういうお話をなさったのか、それは分かりませんですよ。けれどもですやはり信心でそれを考えさせて頂く時です、お互いがほんとにその空を掴んでお終いになったと言う様な事でない様な所へ行くためには、どこに本気で焦点を絞ったがよいか、焦点を置いたらよいかということをです、考えてみなければいけないと思います。
どうぞ、おかげいただかねばなりません。